Museum of flight での楽しみと衝撃

M21とD21

すいません。
今日は英語で書かなくてはいけないんですけど、日本語で書きたくなってしまったので、日本語で書きます。
ご了承ください。


今、こちらは4連休真っ只中。
家族とも離れ離れなので、ほぼ3日間自由時間です。結婚してなかなかこの経験はできないですよね。
いつもは休日となると、なんだかんだいって子供中心の生活になってしまうので。
ちなみに、その日々は好きです。子供が一番だから。

話はそれてしまいましたが、一人で暇+仕事をやりたくない、という気持ちから、昨日はMuseum of flightというところに行ってきました。日本語で言うと航空博物館といった感じです。

現地アメリカ人に、とてもいいからいってみな、と言われていたので、「動くのだるいけど、あんまりゴロゴロしていても、仕事が始まったときに再起動が苦しくなるので、楽器屋に行く前に軽く寄るか。」程度の気持ちで一人車を走らせました。

当初の予想は、12時くらいに出たので、遅くとも15時くらいには飽きて、楽器屋に直行かとおもったのですが、なんと17時まで居てもまだ時間が足りませんでした。そのくらい良い方向に期待を裏切ってくれました。


展示は、航空技術の誕生から現在までの歴史が中心。展示ラインナップは、個人乗りの小型機、戦闘機、旅客機から、宇宙まで、本当に様々で、それぞれがとても魅力的でした。


特に印象に残った点(もっとありますが、限りなく長くなってしまう)を羅列すると、以下のような感じです。もしかしたら、細かい点は間違っているかもしれません。あくまで私の理解した範囲です。


・M21 blackbird
アメリカCIAの要望で製作したマッハ3(要は音速の3倍;クルーズスピードは3508km/hとのこと)というとてつもない速度で飛ぶことのできるD21の偵察機輸送機(ロッキード社製)。機体のほとんどは、その高速飛行(摩擦熱、空力荷重)に耐えられるようにチタン製(航空エンジニアから言わせると、恐ろしい設計です)、空力性能も徹底的に追求し、後ろに長いエイのような形をしており空気の剥離を極限まで抑えています。エンジンもその当時最高性能を誇ったPW製ターボジェットエンジン(J58)を二機搭載。排気の熱は1200℃に迫るものでした。その強烈な熱に耐えるために、ランディングに使用するタイヤも特注で、補強材にアルミを使用しており、白いタイヤ(goodrich製)を装着しています(元ゴム材料技術者として、かなりの衝撃です)。1971年に引退しています。尚、M21の上に載っているのはD21という無人偵察機です。これも当時かなりの高性能無人偵察機で、マッハ3以上(M21以上)の速度でプログラミングされた領域の写真を撮影した後、撮影したフィルムなどを排出し、自爆するように設計されているそうです。ネットで公開されていたこれら2機の写真を添付します。


Air force 1 (Boeing VC-137B)
いわずと知れた大統領専用機。1974年までAirforce 1として使用され、かのケネディ大統領も使用した機体です。中に入ることもでき、秘書用のテーブル、2つの大きなキッチン、ボディーガードや身の回りのお世話をする人たちが乗るための席、ミーティングルーム、そして電話、ファックスなどの通信機器を一通りそろえた通信室も完備。徹底した管理で、製造の段階から材料、オペレーター、製造プロセスなどすべてに関して徹底的に管理し、運行開始後も使用する燃料さえも徹底的に分析、管理をして使用していたそうです。細かい技術情報は非開示でした(当然ですね)。


・Concorde
2003年に引退した、Britsh Airwaysの機体。Concordeで一番最後まで使用されていた機体が展示されており、中に入ることもできました。初めて入ったんですけど、ものすごい狭いですね...。音速を超えるため空気の流れを遮断するキャビンなどを徹底的に削ったんだろうな、というのを容易に理解できます。のぞき窓は非常に狭く、シートは左右2列ずつ。前後は狭くありませんが、真ん中の通路は私でも正面を向いて歩くことができませんでした。最終飛行はニューヨークから今展示されているシアトルまでの飛行で、3時間57分(?)という記録を打ち立てているそうです。通常の飛行機ならば6時間は最低かかると思います。私個人的には、このような特徴のある飛行機が引退していくのは寂しい気もします。非公開(立ち入り禁止)のキャビンの床に積もっていた埃が時の流れを物語っていました。


国際宇宙ステーション(ISS)の実物モックアップと月の石
今、若田さんも行っていることでも日本で一躍有名となっている、建設中の国際宇宙ステーションISS)。博物館には、飲料水の製造や、船員の運動を行う場所を提供するDestiny Laboratoryの実物の内装が再現されていました。ほかのモジュールと比較し、中が大きなモジュールであるとのことですが、それでも広くはなく、所狭しとスイッチや機器がつめ込まれているという印象です。日本からも「きぼう」が打ち上げられ、ISSにおける日本の役割も大きくなっていきそうですね。また、一角にアポロが持ち帰った月の石も展示されていました。個人的に初めて(だっとと思う)見る月の石はとてもきれいに輝いていて、とてもロマンを感じました(照明のうまい演出??)。そのほか、今後の月探索、火星探索に関する技術の紹介もあり、未知の世界が明らかになっていく期待をもたせてくれる、興味深い展示が多かったです。


飛行機にあまり興味の無い方でも、何となく「ふ〜ん。」くらいの興味がわく内容だったんではないかと思います。曲がりなりにも航空業界のエンジニアをしている私としては、かなり良いものを見せてもらったような気もします。



一方で、衝撃を受けた展示もありました。


世界大戦に関するものです。


Daytonにある航空博物館でも同じような気持ちになったのですが、やはりこの領域だけはいつも微妙な気持ちになります。でも、今回は前回とは比較にならないくらい大きな衝撃を受けました。


その衝撃を与えたものとは、展示説明の背景の一部に使用されていた一枚の写真です。


一面焼け野原となってしまった町の写真でした。撮影場所は中国の上海とのことです。
近くに線路が移っており、撮影の場所が駅近くであることがうかがえました。
その写真の左のほうに子供が写っていたのです。
お座りをしているその姿から、その子があまり大きな子ではなく、せいぜい1、2歳であると想像できました。
その子が全身にやけどを負い、一人で座って泣いている写真だったのです。


もう、それ以上直視できませんでした。
子供に何の罪があるのでしょうか。
おしゃべりもできないであろう、そんな小さな子が何でそんなつらい思いをしなくてはいけないのか。
大人の欲のために、子供が犠牲になるというのは、どうしたら説明がつくのでしょう?
本当に悲しくなりました。
自分に似た年齢の息子が居るがゆえに、その泣いている姿が重なり、それが私の心を大きく揺さぶり、動揺させました。
もう丸一日たっているにもかかわらず、昨日見た写真の衝撃はまったく消える気配がありません。
唯一願えるのは、その泣いていた子供が誰かに助けられ、無事に大人になっていることだけです。


私は今、航空機部門のエンジニアとして働き、家族を養っています。
そして、家族のためにやっている今の仕事は、多くの人に「短時間で遠くへの移動」という利便性をもたらすことのできるとてもすばらしいものだと思っています。
それを支えに、離れた異国で厳しい交渉や仕事をこなし、ベストをつくしているのです。
ただし、一歩間違えると、航空技術というのは軍事転用され、大量殺人への適用も可能な両刃の剣でもあります。
子供の未来のためにやっている仕事が、子供の未来を奪いかねない。
そんなことを考えさせられる衝撃の経験でした。
今でも、自問自答が続いています。


すいません。
また、長くなってしまいました。
後半で述べた事は、私の中にだけにしまいこむにはあまりにも大きなできごとでした。