相変わらず海外出張中の身です。
朝晩は5℃くらいになることもあるかと思えば、
朝でも20℃くらいまで上がっていたりして(これは、観測記録に迫る気温だったみたいですが)。
冬、秋、冬、冬、みたいな感じで、毎日違う季節を堪能しています。
広大なアメリカ....。何が起こるかわかりませんね。


ところで、過去の自分の考えていた夢(目標)をふと思い起こすことはないでしょうか?
私は比較的最近そのことを考える機会が増えたような気がします。

あまりみなさんにとって興味はないでしょうが、私の過去に考えていた自分の夢と自分の軌跡を少し語らせてもらい、今抱えている悩みを暴露したいと思います。


小学生のころの夢。
それは「警察官」でした。
とにかく、悪い人や悪いことを正すという正義の味方である(基本的には今もその考えは同じです)というイメージから、とてもあこがれていました。小学校のころ、うんていの割り込みをして困っていた友達のために喧嘩をしたりと、私の人生でもっとも正義感の強かった時期(?)かもしれません。喧嘩は強くなかったですけどねぇ(笑)。
今の職業は警察官ではありませんが、とりあえずきちんとした職業に今就けているということから、この夢は違う形でかなったということでしょうか。


中学生のころの夢。
現実的ですが、すごく小さなことが夢でした。それは、背が伸びてほしい、ということです。
当時中学3年生で155センチしかなく、当時入っていたバスケットボール部でもなかなかリバウンドがとれず、悔しい思いをしていました。なので、持久力で勝負しようと、一生懸命走りましたが、上には上がいるもので、全く芽が出ず...。当時所属していた部活は非常に厳しかったのですが、私の部活の顧問の先生がとても人間のできた人で、「背が小さくてもまじめに練習をしているその姿勢を評価する」、といって私のことを部の中で表彰してくれました。まじめに取り組むというその姿勢を評価してくれるというこのことが、その後の私の人生の自信になったのはいうこともありません。
ちなみに、今の身長は174センチくらいになりましたのでこの夢はかなったということになりますね。


高校生のころの夢。
これも現実的な夢かもしれません。ある理系専門大学に入学し、研究者や技術者になることでした。高校生の時には既に理系に進学することを決めており(動機は国語が苦手だから、という消極的なものでした....)、「もし理系にいくのならその理系専門大学に行きなさい」という私の恩師の言葉がさらに私をその方向に導いたといえるでしょう。当時の私の成績は、在学していた高校の中くらいでしたが、一緒に勉強してくれた高校の親友、長い浪人(2年)という勉強の猶予を与えてくれた両親のおかげということもあり、なんとか目標の大学に入学することができました。入学という目標はここで果たせたということになりますね。ただし、職業についてはここではまだ漠然としたものでした。


大学生のころの夢
大学の1、2年生の頃は大学生活を満喫しているだけで、特に将来を考えるようなことはしていませんでしたが、怪我をして部活を辞めた頃(大学2年の夏ごろ)から、日本という国を飛び出して世界で活躍できる研究者になりたいと思うようになりました。周りにいる友達などの話のスケールが小さかったということが、違う国に目が向いたという動機になったと思います。
この目的に近づくためには、大学で勉強できる専門以外に、サバイバルの語学力が必要と考えました。とりあえず入門編として実行に移したのが、自分の貯金をはたいてのカナダへの6週間の語学留学でした。英語は全くというほどしゃべることも、聞くこともできませんでしたが、現地ではたとえ日本人同士でも日本語を使わない、という強い意志で望み、最低限の会話力を身につけることができました。その後、さらに自分に対する負荷を上げるため、一人でオーストラリアの環境保全ボランティアに参加し、日本人一人という極めて厳しい環境下で語学のみならず、ひとりで生活していくという基礎力を4週間で自分に叩き込みました。これは本当に厳しい経験となりましたが、自分の成長にはとても大きな影響を与えました。この経験のあと、自分の無力さを実感し、死に物狂いで英語を勉強ました。
これらの経験を踏まえ、学生の時にできる海外経験の総仕上げとして、1年間のインターンシッププログラム(ヴルカヌス in Europe、日欧産業協力センター主催)に参加。ドイツにおける、4ヶ月の語学研修の後、8ヶ月の就業経験という貴重な経験をさせてもらいました(語学研修は無料、生活費、支度金などは基本支給されるすばらしいプログラムでした)。ここで、ドイツ語という別のツールを学ばせてもらい、さらに研修生ではあるもののお金をもらって働くということを経験させてもらいました。ここでは多くの貴重な友人とも出会うことができ、海外で生活するという最低限の常識を吸収できたと思います。
そして、帰国後に大学院に進学し、専門をさらに勉強した後、修士課程を修了。無事にメーカーに就職し技術者になることができました。国際的でないにしても、技術者になれたというだけでもとりあえずは目標達成でしょうか。


社会人歴3年未満のころの夢
この頃は、基本は変わらないものの表現が少し異なり、国際的に活躍でき、需要の尽きない技術者になる、そして自分の人生のサポーターを探し、ともにその目的を目指すということが夢でした。
最初に就職した会社は、世界的な企業ではありましたが、業務の内容などに大きな疑問(ここで書くとそれだけで長くなってしまう)を感じ、1年程度で転職。今の会社に就職しました。
今の会社での仕事は、これまで経験したことのない異業種であったことと、量産への立ち上げで非常に勢いのある場所であったことなどもあり、精神的にきつい時期もありました。転職して1年後には毎週の海外との電話会議を英語でこなす必要があるという、かなり厳しい環境でしたが、それなりにOJT(語学、専門ともに)にて成長できたと思います。
その後、人生の伴侶となる女性と出会い結婚。1年後、子供にも恵まれました。
この時点で、夢はかなえられていることは恐らく想像できると思います。


そして、今。
今の私の状況は1年の3割以上を海外出張で業務対応しています。
通訳など一切使わず、すべて英語で技術的な厳しい交渉をこなし、アメリカのサプライヤーの指示を出し、現地の購買部門との協力するなど、積極的な業務推進+多くの成果を出してきました。上司からは、絶対的な信頼を置かれ、リーダーをやってほしいと直々に要請されるなど、年齢と在職期間を考えるとかなりのスピードで責任範囲が広がりつつあります。

ただ、ふと思うことがあるのです。
今の夢ってなんだっけ、と。
今私の行っていることは高校生以来描き続けてきた、まさにそのとおりの姿に極めて近いと思います。
でも、何かちがうかな、と思うときがあるのです。
今の仕事は恐らく自分の理想に極めて近く、これ以上を望むのは難しいと思います。

満たされないのは、ただひとつ。
家族や仲間と離れているということです。

独身の頃の私は自分のことだけ考えていればよかった。
でも、今は一家の大黒柱であり、家庭を守らなくてはいけない。
それにもかかわらず、1年のうち3割以上は家を空けている状況が続いている。
家内は一人で息子と過ごさなくてはならない。
それが非常に心苦しく、自分の理想と唯一食い違っている点なのかなとおもいます。

さらには今組んでいるバンドのメンバーとも引き離され、
ライブなども計画通りにこなすことができず、
一年のうち3割は代理のリーダーを立てなくてはいけないなど、
こちらも思い通りにいかない。


夢と現実。
どちらも完全に満たされるのは、本当に難しいかもしれない。
これは、贅沢な悩みなのでしょうか...?