外国

あっという間に8月も終わりですね。


新首相も決まり、今後が楽しみです。
決して政治思想の話をするつもりではないのですが、
今回の候補では野田さんがずっといいと私も思っていました。
現実的という点で。


とはいえ、民主党に投票したことは一度もありませんが......。



ところで、テレビ東京でやっていた「世界の辺境の地に生きる、がんばる日本人」という番組みをみました。
今は全くですが、過去に外国好きだった私にはとても興味深い内容でした。
世界にはすごい日本人の方々が多くいるのだなぁ、とつくづく感心しました。



ふと、自分も外国に色々行っていた頃、どういう心境だったのかなぁ、
それが今にどうつながっているのかなぁ、なんていう回想をブログに書いてみよう、
という思いに至ったわけです。もしよろしければ、しばしお付き合いを.....。




実はもとをただすと、私は外国には全く興味はありませんでした。
英語の成績もあまりよかったわけでなく、世界史が好きなわけでもなく。
私の親戚や両親も国内派で海外とは無縁でした。



そんな私が外国に興味を持つきっかけとなったのは、
大学一年生の時です。


大学入学後、私は体育会系の部活をやっていました。
それなりにまぁまぁ楽しく、このまま学生生活おわるのも悪くないかな、と思ってはいました。


ところが、転機が訪れます。


怪我をしたんです。
それで練習に行けなくなって、リハビリをしていましたが、
面白くない。この時のウェイトトレーニングのおかげで筋肉はつきましたが。


それで、結局辞めちゃったんですね。
そうしたら、最近まで仲良く話していた先輩とかが、
急に無視をするようになりました。
あいさつしても、ガンを飛ばされたり。


この時思ったのが、「ちいせぇなぁ….」ということ。
狭いコミュニティで人を無視したり、なんてあまりにも無意味。
スケールのでかいやつは近くに居ないな、なんて生意気なことを考えていました。


この時から、海の向こうはどうなのだろう、と常に思うようになりました。
違う国の人とも触れ合ってみて、スケールの大きい人を探してみたい。
とりあえず、日本をでてみたいな。


こんなことが、実はきっかけなのです。



そこからせっせこお金をためて、NHKラジオ講座やり、半年後にカナダに2カ月程度語学留学しました。
勉強も、バイトもがんばりました。目標があったので苦痛ではなかったです。
朝3時に起きて、軽トラで牛乳配達もやりました。


大学3年生の時、カナダに渡ります。


語学学校での生活は本当に楽しかったですね。
海外は本当に色々な人がいて、自分の視野も広がって、
仲良かった人はみんな大きな夢やビジョンをもっていました。
それは、語学学校に通っている多くの人に共通していました。


このとき、語学学校はある程度高額なお金を払ってきているので、
かなりのふるいがかけられていること、
そしてそもそもお客さんとして学校に受け入れてもらっていた事など、
知る由もありません。



これに味をしめた私は、次のフェーズに移ります。
ある程度英語が聞けて、しゃべれるようになったので、
次は一人で海外のボランティアに参加しよう、と決意します。


そして、大学4年になる直前に海を渡ります。
行先はオーストラリア。
環境保全ボランティア団体(ATCV)に単身で乗り込みました。
期間は1ヶ月。
ATCVって?
http://www.conservationvolunteers.com.au/


持ち物は、軍手、着替え、帽子、情熱!
本当にこのくらいでした。



ここでの生活は地獄でした。



本当のネイティヴ相手になすすべなしでした。
おおまかな作業の指示は何とかわかるのですが、
細かい部分はどうしてもわからず。
休憩時間も一人しかいない日本人はもちろん相手にしてもらえず、
遠目にみえていることしかできませんでした。



この時ほど自分の無力さを痛感したことはこれまでの人生で他にないと思います。
苦しかったことだけはよく覚えています。



そんなある日、身に覚えのないことで、メンバーから責め立てられ、
余りの英語の嵐に悪くないのに「Sorry」と言ってしまいました。



この時ばかりは自分がどん底に落ちたのと同時に、何かが吹っ切れました。
「自分は甘かった…。語学学校ではお客さんだったんだ…..。」


(このあと、私を責め立てたメンバーにはどうしても納得がいかなかったため、言葉では勝てないと思い、数日間にわたり延々とガンを飛ばし続けました。その後、話しかけられましたが、基本的に無視していました。私も小さいですね…。)



失意のまま帰国。
もちろん、素晴らしい仲間にも出会いました。
でも、自分の何かを失ってしまったという感覚の方がはるかに支配的でした。



そんなある日、大学の掲示板でヴルカヌスの募集を目にします。
「海外で失ったものは、海外でしか取り返せない」と思った私は、
これまで以上に気合を入れて英語を勉強し、ドイツの企業に派遣させてもらう、
というチャンスを得ました。期間は1年間。


学士号を取り、大学院への進学が決まっていた私は、
大学院を休学し、そのままヨーロッパへ渡ります。



ヴルカヌスは、システムとしてきちんとしているプログラムでしたが、
英語が通じないという環境は想像を絶していました。
頭痛が3日くらい続いた気がします。
でも、オーストラリアの時に比べたらどうってことなかったです。
ヴルカヌスでほしいのは、自分は海外でやっていける、という自信を取り戻すため、
「結果」だけを追い続けました。



研修生として企業に派遣されると、とりあえず言われたこと+αを心がけ、
認められると同時に結果を出すべく奮闘しました。



ここでまた別の壁にぶち当たります。
指示+αだけでなく、提案をしまくっていた私は、
ある日、ドイツ人上司に「君に結果を期待していない。言われたことだけをやってもらえないか。」



目の前が真っ暗になりました。
この上司の言っていることは当然です。
研修生としてきている外国人学生に大きな結果や提案を期待するのは、あまりないでしょう。



それでも私は納得できませんでした。
結果が得られなければ、ここに来た意味はない。



最終的に達した答えは、
「母国(の企業、組織)をベースに実績を積み上げ、最終的には母国を背負って世界と勝負するのが、失った自分の自信を取り戻す唯一の手段だ。」


こうして、煮え切らない気持ちのまま、大学院へ復学し、専門性も磨くことを決意したのでした。



そして今。
そうですね、道半ばというところでしょうか。


会社では実績を積み上げ、海外とも同等に渡り合える語学力、精神力、専門性は及第点に来ているとは感じています。



失った自分を完全に取り戻すのには何が必要か。


それは、今の会社で自分がゼロから考えたことを、
多くの人を巻き込みながら育て上げ、一つの成果として世界に認知させる。


これができれば、一つのゴールかと思います。



戦いが始まってもう12年….。
トラウマの克服には多大なる労力が必要ですね。




すいません。いくらなんでも書きすぎました。


書きながら懐かしい気持ちになってしまいましたが…。


次回以降はまた身近な話題に戻そうかと思います。