第二の故郷

私は既に30も半ばを過ぎようとしていますが、
幼少〜小学生までの間、そのほとんどを「いとこ」の家で過ごし、共働きの両親の代わりにいとこが実の姉弟のように、そして親のように接してくれました。


姉が一人しかいない私は、いとこを含めた7人姉弟の一員として育ててもらったようなものです。



このいとこというのは、母親の兄妹の子どもです。すなわち母親の実家に入り浸っていたわけです。この母親の実家はお店をやっています。



正確にはやって「いました」。




このお店が3月15日に閉店してしまったのです。




幼少をこのお店で過ごした私としては、まさに第二の故郷を失うような気分です。さびしいですねぇ….。自営業を続けるというのは難しいことですし、私自身が経営に携わっていたわけではないので何も言える立場にはありませんが。



せめて、記録を残そうと家族と一緒に母親の実家にいって、思い出の写真を撮ってきました。普通の方から見たらなーんら関係のない写真でしかありませんが、記録を残したい気持ちが強かったのでアップしようと思いました。


この写真はお店の中の写真です。にぎわっているときは多くのお客さんがいました。さまざまな手作り惣菜を売ったり、魚や野菜を市場から仕入れて売ったり、お米やお酒も取りそろえていたりと、30年前としては画期的な商売形態でした。あの頃のにぎわいが思い出されます。猫の手になったかわかりませんが、たまに手伝っていました。









これは、少し乱雑になってしまっていますが、お店の裏の台所。ここで惣菜を作ったり、私がいるときは昼ごはんや夜ごはんをおばさんたちがかわるがわる作ってくれました。祖母が健在のときはおばあちゃんの味を常に笑顔でふるまってくれました。私の母もここで主に働いていました。いとことここで集まっては、がやがやとご飯を食べていました。懐かしいです。









これは、精米機。
商店を始めた時は酒屋と米屋が出発点でしたのでこのような立派な精米機があります。私は物心ついたときから精米をして、それをといで、薪で炊くというのは、身近でした。美味しかったですよー。お米屋さんの炊きたてのご飯は。











これは、お店の外観です。30年近く全く変わっていません。この景色を見ると「じゃまだよ!」とか言われながら遊び回っていたのを思い出します。怒られながら、多くの子どもと大人が交わりながら時を過ごした大切な場所です。









ここは、昔から全く変わらないドアです。
何度ここをあけて外に出たり中に入ったりしたことか。
この茶色のドアに手を挟んで、爪が紫になったこともあります。










自分の思い出に浸ってしまってすいません。


私も今年の7月に3人目が生まれ、3児の父となりますが、子供たちにいい思い出を作ってあげられるように、できる範囲で頑張ろうと思います。