シベリア抑留

義父からの勧めで、写真の本を読みました。


シベリアでの強制労働から生還した方が自費出版したものです。








旧ソ連が日本に侵攻したのは、日ソ中立条約のソ連側の一方的な破棄(諸説ありますが、基本的にはソ連アメリカの密約によるというのが一般的のようです)がきっかけとなっており、その直接の原因はドイツの降伏にあるということは知られていることです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%AF%BE%E6%97%A5%E5%8F%82%E6%88%A6



最近従軍○安婦について某市長の発言が取り上げられ、マスコミの焚き付けた堂々巡りの議論が続いているようです。


ただし、議論している多くの人が戦争を知らないのが現実です。知らないもの同士の議論は、聞いていて配慮外交が主体におかれた話が多く目につくだけで、あまり有意義には見えません.....。




実際に戦争を体験し、それを生き延びてきた人自身が「書いたもの」は無いのかなぁと考えていた矢先、私が電子書籍自費出版したという話題から、義父の知り合いが自費出版したシベリア抑留の本をかしてもらいました。



この本の内容にほとんどフィルターがかかっていない前提ですが(編集者による内容修正が入っていないという意味)、敗戦国の前線兵士が味わった地獄のような日々が詳細に語られています。日露戦争の戦死者が総員数の5%弱だったのに対し、シベリア抑留の死者数は総員数の12%を超えていることからも、その熾烈な環境が想像できます。




この本の中身を簡単に紹介します。



極寒、非衛生、炭鉱での重労働と毒ガス、そして最も大きな問題が不十分な食事。この量、質ともに不足していた食事こそが死者を大幅に増やした原因として本の中で語られています。


筆者は満州で敗戦という事実に直面し、自分が当然として得ていた安定、安全が日々崩れていく様子も書いています。



ここで幾度も語られているのは、「敗戦の屈辱」という言葉です。


トイレも穴が床に一つ開いているだけの家畜のような列車に乗せられ、約一か月かけてシベリアへ移送。その後は日々重労働の連続。寒さと不十分な食事が体力を削り続けていたため、生き残るために日々体力を温存する対策に労を費やしたとのこと。帰国という目的のみで命をつなぐという作業を繰り返していたようです。


その重労働の中にあってもいくつか人の心を感じる場面はあったようです。熱が出ると一日休暇をもらえてゆっくりと眠ることができる、大きな仕事を短時間で効率よく行えると褒美として普段より贅沢な食事と休暇が与えられる、などです。


また、多くのソ連人個人たちは、過去の経験(過去に日本人に親族が殺されたなど)から日本に憎しみを持っているものを除き、日本人に対しては比較的友好的であったようです。さらに、ドイツに一度大敗をしていることからソ連庶民の暮らしはかなり苦しかったようです。



ソ連内で民主化運動が活発になってきた雰囲気を感じながら、無事帰国を果たし、自分の実家に到着した時の喜びであり、3年間の強制労働の苦労が一瞬忘れられた、として終わっています。



このシベリア抑留は、ソ連スターリンが北海道侵攻戦略をアメリカのトルーマン大統領に阻止された報復として「健康な日本人捕虜50万あまりをシベリアに移送せよ」と命令したことが発端です。すなわちシベリアで命を削って働いた日本人がいたからこそ北海道は日本として残ったそうです....。日本人が祖国領土を守るために命を削って強制労働に3年以上耐えたということも、日本人として知っておいて損はないのではないでしょうか。



そして何よりこの筆者が望んでいることも「平和」だと思います。犯罪などはもちろんありますが、普通に働いていれば満足にご飯を食べられ、満足に眠れる、このような当たり前のことが当たり前のようにできることがとても幸せなのだと感じます。